ゴ・エ・ミヨの歴史

「ゴ・エ・ミヨ(Gault&Millau)」は、1969年に2人のジャーナリストであり、食の評論家でもあったアンリ・ゴとクリスチャン・ミヨによって始まりました。 そして今日まで、新しい料理の本質や価値観に忠実であり続けています。 50年前と同じように、時代と共に歩むため、「ゴ・エ・ミヨ」は現代のあらゆる課題に向き合っています。

 

現在、「ゴ・エ・ミヨ」は、毎年恒例となっているフランス版ガイドブックの他、8つの地域版ガイドブック、ワインガイドブック、シャンパンガイドブック、4,000を超える職人、18か国でのライセンス契約の他、25年以上にわたりフランス料理界を牽引してきたグランシェフたちによる「Gault&Millau Academy」や、『109』(新しい血)と名付けられた、パリのフランス料理の再興を代表する109人の若いシェフを取り上げたガイドブック、そして「PoP by Gault&Millau」と呼ばれる時代の空気を反映したカジュアルなレストランのセレクションなどを手掛けています。さらには、「ゴ・エ・ミヨツアー」や若い才能の開店支援のための助成金、および多くのデジタルプラットフォーム、アプリケーションツールの開発などが計画されています。

 

50年以上、優れた才能の持ち主を見出し続けているゴ・エ・ミヨ

「ゴ・エ・ミヨ」の冒険は、1960年代に『Paris-Presse』の編集部から始まりました。アンリ・ゴは彼の「優れたレポーター」としての才能を発揮し、クリスチャン・ミヨは『magazines』の編集責任者を務めていました。 1961年に、アンリ・ゴは、部長のピエール・シャルピから「週末と散歩」という週刊コラムを任されます。彼は、古い愛車に乗り、紹介すべき情報や場所を求めてパリ周辺を探索し始めました。一方、クリスチャン・ミヨは、後に「ゴ・エ・ミヨ」のパートナーとなる、アンリ・ゴの街歩き記事を読み返していました。

 

毎週金曜日、二人はお気に入りの週末プランや訪れるべき場所(屋根の崩れた城、のどかな田舎など)を、街歩き記事として書いていきます。しかし、その中で読者が一番興味を示したのが、レストランの評価でした。この企画は新しい価値観を持つ読者の要望に応えていたのです。当時、フランス人は、自由な生き方について考え、週末の過ごし方を変え、レジャーを楽しみ始めていました。戦後の食糧難による飢えへの心配が無くなり、人々の味覚はより洗練され、よりナチュラルで、より本物の味を求めていたのです。

 

ゴ・エ・ミヨの気概と独立性

その頃、一流の料理というものは戦前から変わらないまま、マンネリに陥っていました。『ミシュランガイド』も、19 世紀から受け継がれてきたフランス伝統の「時代遅れ」の地方料理の擁護者で、大量に盛った皿に重くてカロリーの高いソースと、豪華でブルジョワ的なレストランを評価する傾向にありました。フランス料理が体現するイメージに合わせ、少し「ありふれた」評価になっていたのです。いつも同じレストランが紹介され、一流のシェフや店が神聖であるかのように崇められていた時、ゴは、それを「最悪」と遠慮なく貶し、ウルシュルおばさんのビストロのラグーを「美味しい」と評価しました。

 

伝統的なフランス料理は、このようにして金曜日のコラムによって一刀両断にされたのです。権威あるものに批判の目を向け、公表する彼らの気概と評価の独立性は多くの読者に支持され、金曜日のコラムは成功を収めました。ゴが新しいレストランを紹介すると、その店は翌日には予約で満席になったほどです。『パリ・プレス』は追い風に乗り、ゴはその後、毎日1 ページの記事を執筆する傍ら、週末にはパリに特化したコラムも書くようになります。

 

1962年、パリの最初のガイド

ジュリアール出版の文学部長クリスチャン・ブルジョワは、『クリスチャン・ブルジョワの見たいもの、食べたいもの』というタイトルで金曜コラムのセレクションを出版し、ベストセラーとなります。ここから、パリのレストランだけでなく、ブティックや職人、ワインショップ、魅力的なホテル、散歩道などを現代的でジャーナリスティックな視点から紹介するガイドブックを作るアイデアが生まれました。クリスチャン・ブルジョワは、迷わずこのプロジェクトに出資します。「ゴ・エ・ミヨ」という、2 つの頭と2 つの胃袋をもったモンスターが生まれたのです。1962 年にジュリアール出版のパリ・ガイドブックが初めて書店に並び、ガイドブックの新しいスタイルが確立しました。

 

1969年、新しいガイドの誕生

「ゴ・エ・ミヨ」は資金面で自立し、やがて志を同じくする小さなチームが結成されました。ゴの二人の義理の姉妹マリーとニコル、ミヨの友人で、プロのジャーナリストであるイヴ・ビドー、軍在籍時の同僚で経理と管理を任されるアンドレ・ガイヨ、アート評論家のジャン= リュック・ルダー、そしてあらゆる情報に精通するサイクリストのロジェです。彼らは、モンマルトル通りにある3 つの小さな屋根裏部屋を使ってスタートし、その後、モベール広場の近くに引っ越しました。「見事に散らかっていました。ボルドーワインの木箱に来客を座らせました。しかし、その汚れたワイングラスやテーブルの隅っこから、1969 年3月、再び新しいガイドブックが誕生したのです。我々の貧しさが切り札でした。これは料理も全く同じです。バターやクリームが多すぎると、素晴らしい料理も台なしになります。本当の才能はシンプルであること。しかし、それが一番難しい」とクリスチャン・ミヨは語っています。

 

ヌーヴェル・キュイジーヌ

ゴとミヨは、フランス料理のすこぶるブルジョワ的で時代遅れのイメージを刷新する決意で、フランス中の新しい店を探し、調査しました。ホテル、レストラン、ブティック、職人、ワインショップと、彼らの好奇心にはとめどがありませんでした。

 

自分の足で歩いて得た経験と多くの料理を食べた結果、2 人は、未来のヌーヴェル・キュイジーヌをポール・ボキューズの料理の中に見つけます。シンプルな「インゲンとトマトのサラダ」の美味しさに触れ、新しい料理はこうした皿の中にあると確信します。その後、ロアンヌでトロワグロ兄弟と出会い、ハーブで風味を付けたカエル料理を供されます。前日に下ごしらえをせず、全て「今」調理したものでした。忘れていた風味、シンプルさと軽さを重視する「ヌーヴェル・キュイジーヌ」はこのようにして生まれたのです。彼らはこの新しいコンセプトを記事を通して広く発信し、ガイドブックは人気を呼びます。

 

1972年、『ゴ・エ・ミヨ』ガイドの初版

1972 年、フランスで『ゴ・エ・ミヨ』ガイドの初版が出版され、料理業界に変革をもたらします。価値のあるレストランを探して、ゴとミヨはフランス中を歩き回りました。彼らは、ミシュランが価値を置く、店の豪華さや食器、清潔さではなく、味とプレゼンテーションとシェフの想像力に着眼します。完全な独立性のもと、ゴとミヨは堂々と会計を済ませ、他のガイドブックの評価に関係なく、点数をつけていきました。

 

サンドランス、ロブション、ガニェールなどを見出す

『ゴ・エ・ミヨ』ガイドの歩みと共に、フランス人は未来の巨匠を知ることになります。例えばパティスリーのスターになったルノートルをはじめ、パリでも地方でも、ゴとミヨの2 人は、アラン・サンドランス、ジョエル・ロブション、ギィ・サヴォワ、マルク・ヴェイラ、ピエール・ガニェール、ミッシェル・ロスタンなど、今では紹介するまでもない有名シェフを見出します。ゴ・エ・ミヨは、ヌーヴェル・キュイジーヌを発見したパイオニアとなったのです。その発見はフランス料理を昏睡状態から抜け出させ、新たなライフスタイルを創出しました。

 

ヌーヴェル・キュイジーヌ:ゴ・エ・ミヨが生んだ新たなスタイル

ゴ・エ・ミヨが見出したヌーヴェル・キュイジーヌは、より洗練された新しいライフスタイルと同時に生まれました。この表現をつくり上げたのはゴとミヨですが、力を持つべく厨房の中で決起したのは料理人たち自身です。この気運は、30 ~ 40 代の若手料理人が、料理を近代化させ、消費者の新たな要望に応えるため巻き起こしたものでした。

 

1973 年に発表された記事の中で、アンリ・ゴとクリスチャン・ミヨは、ヌーヴェル・キュイジーヌにおける“ 十の戒律” を定義しています。これは、料理の新しい価値観を共有したい若い料理人たちに、取るべき行動指針を示すものでした。その中のほとんどの基準は今でも通用するものです。

 

この戒律の中で最も重視しているのが、正確な火入れ、前日に準備されたソースのベースを使わずマルシェの新鮮な食材を使うこと、そして、メニューの選択肢を減らすことです。ゴ・エ・ミヨは、重くて、カロリーの高いソースを一掃し、食餌療法学の原理と、付け合わせの素材におけるシェフの創造性を高く評価しました。当時の雑誌には、この新たなガストロノミーの輪郭が明記されています。軽く、シンプルでありながら常に洗練されていること、これらは現在でも変わらず実践されている原則です。

 

ヌーヴェル・キュイジーヌの10の戒律

 

  1.火を入れすぎない

  2.新鮮で品質の良い食材を使う

  3.メニューを軽くする

  4.必ずしもモダニストである必要はない

  5.それでも、新しい技術で何が出来るかを研究する

  6.マリネ、熟成、発酵等は避ける

  7.重いソースは無くす

  8.食餌療法を無視しない

  9.プレゼンテーションでごまかさない

10.独創的であれ

 

1978 年、『SPECIAL VINS(スペシャル・ヴァン)』初版

ワイン特別号の雑誌を思いついたのはクリスチャン・ミヨでした。葡萄の収穫時期に料理評論家を葡萄畑に集め、フランスのワインをアピールするというアイデアが浮かんだのです。

 

「SPECIAL(特別号)」と書かれた雑誌は1978 年9 月に発行され、価格は5フランでした。その見出しは、現在まで引き継がれている「パリ、様々な値段のレストラン」と「全80 ページで紹介するワインの全てとワイン通が薦める500 軒」です。

 

1984 年、ワイン・ガイドブックの誕生

1984 年9 月、ゴ・エ・ミヨがワイン・ガイドブック初版を発行しました。タイトルは『フランスワインのガイドブック 初の実用的なガイド ー 品質と価格のバランスが優秀な1500 種類のワイン』。アンリ・ゴとクリスチャン・ミヨの責任のもと、試飲メンバーとしてフェルナン・ウーターズ、ジョゼフ・グランと、フィリップ・デ・ロワ・デュ・ルーヴルが選ばれました。

 

その評判は高まり、沢山のテイスターやジャーナリストがゴ・エ・ミヨへ、そのノウハウを学びに訪れました。

 

やがて、報道、経済、金融、政治を扱う雑誌でもページに彩りを添えるため、ワインの記事が掲載され始めました。それが、毎年、葡萄の収穫時期にワインの特集号がフランス中のキオスクに並ぶようになった理由です。

 

ゴ・エ・ミヨと世界

『ゴ・エ・ミヨ』のガイドと雑誌の成功により、アンリ・ゴとクリスチャン・ミヨは、1980 年、アメリカの『タイム』誌の表紙を飾りました。1923 年の発刊から今日まで、『タイム』誌の表紙に登場したフランス人は数少なく、大変名誉なことです。

 

ゴ・エ・ミヨは、2012 年にハンガリーでレストランガイドを出版。2013 年にはオーストラリア、さらに2014 年にはポーランドで出版が始まりました。そして2016 年、日本でゴ・エ・ミヨの新しい歴史が幕を開けました。ゴ・エ・ミヨ ジャポンは、先人たちが築き上げてきた豊かな食文化のもと、最高のレストランと新たな才能を探し続けています。

 

今日のゴ・エ・ミヨ

優れた才能の発見者であり、トレンドの創出者であるゴ・エ・ミヨのエキスパートたちは、約50 年、常に、強い信念で努力を重ね続けています。調査チームは、1年を通してフランス中の道を歩き回り、既に紹介したレストランの追跡調査を行い、新たなレストランを探しています。地方のオーベルジュや街のビストロ、民宿、お洒落なホテル、創造性あふれる料理、気軽に飲めるワイン、感動する有名なワインや地ワイン…ゴ・エ・ミヨは、読者のために、最高の食材や最高の店、味と喜びをもたらす最高のものを常に探し求めているのです。

 

2019年秋の、パリのムーラン・ルージュでのガライベントでは、「ゴ・エ・ミヨ アカデミー」や「マスターピース」「シェフ&職人」等の賞の創設が発表されたほか、創立50周年に向けて数々のガイドブック発表されました。その中でも注目すべきは、若手をフォーカスした『109』(フランス語の109と「新しい血」を掛けたもの)です。

 

ゴ・エ・ミヨ アカデミー

2019年に設立された「ゴ・エ・ミヨ アカデミー」には、25年以上にわたって20点満点中17点以上を獲得し続けている、最も経験豊富な10名のシェフが選ばれました。感謝の意を込めて、新しい区分である「5つの金色のトック」が贈られた他、現在検討すべきいくつかの議題において、彼らのビジョンや考えを共有していくという目的もあります。例えば、ゴ・エ・ミヨツアーや「Jeunes Talents」(若いシェフの独立開業支援のための基金)のテーマ策定に関わる他、政府機関に対する飲食業の経済的また社会的ニーズに関するマニフェストの作成など、多くの事業へと参画していく予定です。

 

2020年版においては、ミシェル・ゲラール、ジョルジュ・ブラン、ミシェル・トラマ、ピエール・ガニェール、マルク・ヴェイラ、ギィ・サヴォワ、マルク・エーベルラン、レジス・マルコン、アラン・パッサール、そしてアラン・デュカスの10名がアカデミーのメンバーとなりました。

 

 

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